『女は気立てが良いべき』『仕事は効率を重視すべき』『社会はこうあるべき』…
大体どこでもこんな「べき論」を言う人は嫌がられます。
しかし、一向に世の中から減らない「べき論」「あるべき論」の数々。
もしかしたらあなたも知らずに使っているかも…。
なんとかして、
もっと気持ちの良いコミュニケーションを
取れないだろうか?
そこで今回は、
「べき論」を使うとどんな悪影響があるのかについて
書きました。
具体的には、
・自分自身に「〜すべき」と言うとどんな悪影響があるか
・他人に「べき論」で語るとなぜ嫌われるか
・議論が面倒だからと「べき論」を用いる人がなぜ嫌われるか
・人が「べき論」を使う人の言う事を聞きたくないのはなぜか
そして、
・こんな悪影響だらけの「べき論」がなぜ生まれるか
も最後に述べています。
お好きなところからどうぞ
悪影響1:自分自身にべき論を使いすぎると、心の病気になる??
早稲田大学の名誉教授である加藤諦三さんが、
「べきの暴君」と言う表現をされています。
「男は年収が◯◯◯◯万円あるべき」
「こういう場面では優しく微笑むべき」
「お客さまの前では常に絶好調であるべき」
このような、
自分自身に投げかける「べき」と言う気持ちは
誰でも大なり小なり持っているのですが、
あまりに過剰だと問題視したほうがいいのかもしれません。
ありのままの自分や、
現実的な自分の能力を認める事ができず、
現実とはあまりにかけ離れた
理想のジブン
と言う先行したイメージ(自分とはこうあるべき)に
自分自身が支配されている状態だからです。
自分のリアルな気持ちや現実的な能力を置いておいて、
「こうあるべき」姿に執着します。
すると、いつの間にか
めちゃくちゃ無理をするハメになっています。
心が病まないわけもなく、
神経症患者にはこのような心の傾向を持つ人が多いとの事。
彼らは常に今の自分が理想の自分に反する事をしていないか、
自分自身を見張って裁き続けるのです。
暴君とは大げさにも聞こえますが、
それほど「べき論」は、
暴力的で、迷惑で、支配的で
自分の心の健康に悪影響を与え、
だんだん苦しくなっていく考え方なのです。
↑こちらでも「〜べき」と考えすぎる危険性について書きました。
よければご参考ください。
悪影響2:他人に「べき論」を語る人は嫌われる
「やっぱり女の子はミニスカにすべきだよね」
とさえない男子に言われたらどう思いますか?
知らんがな。
と思いますよね。(笑)
人は意見を押し付けられるのが
大嫌いな生き物なのです。
しかし、
「べき論」を語る人と言うのは、
パッと見正しそうな道徳や常識を用いて、
「〜すべき」と主張します。
例えば…
「そこは、人として礼儀正しくすべきでしょう」
こんなセリフはよく職場で聞きます。
営業関係だと、フランクな対応を好むお客様もいます。
場を盛り上げるために、
相手がギリギリ許す範囲で敬語を崩したりもします。
コミュニケーションは生ものなので、
その時その時で様々な形があるわけです。
それを事情も知らずに、正しい事を言って、
しかも『人として』ともっともらしいワードも
含めてそんな事言った日にゃ、
そりゃ嫌われます。
言われた人からしたら
パッと見正しい意見だから反論しにくいし、
でも自分の意見を押し付けられている感じだから、
めっちゃ腹が立つわけです。
お前いったい何様だ、と。
僕の職場の場合、
若いスタッフにこのようなタイプが多いのですが、
言ってる事は間違ってないんです。
むしろめっちゃ正しい事だってあります。
でも、反感を買っちゃってます。
自分も昔はそんな感じだったから、
人の事言えないんですけどね…。
言ってる事が、
正しい・正しくないが重要なのでは無く、
〜すべきと言う「べき論」的な言い方に
問題があるのです。
悪影響3:議論を避けるために「べき論」を使う人も、やっぱり嫌われる
考えるのがめんどくさくて、
「常識的にこうすべきでしょ」って
言って上手にごまかそうとする人、
いますよね〜。なかなか議論が進まない。(泣)
「いや、それが常識でしょ。人ってそうすべきでしょ。」
って言ってしまうと、
余計な事をそれ以上考える必要無いですしね。
簡単に話を終わらせようと思ったら、
それで十分かもしれません。
しかし反面、
仕事って常に
「常識をちょっとずつ破っていく」
と言う側面が必要ですから、
それができないとなると、
仕事に変化が起きません。
ビジネスの現場は厳しいので
現状維持は衰退と一緒
なんて言われたりもします。
そんな中「いや常識的にこうすべきでしょ」
と決めつけられると、話が進まないんです。
そういう人は、
やっぱり職場で浮いてしまいます。
プライベートでもそうです。
常識では図れない、
自分の繊細な気持ちについて分かって欲しいのに、
「それ人として間違ってる。普通はそうすべきじゃないよ」
と、簡単にまとめに入られたら…
あ、この人は話を聞いてくれない人
って思われちゃいます。
そりゃ嫌われてしまいます。
悪影響4:人はルールには従うが、「べき」には従わない
※↑これはルールに従うペンギン
人はルールには従います。
これは、ルールが
・みんなで決めたものだから
・決められたルールを守ると自分が約束したから
なんですね。
先ほど述べたように、
人は押し付けを嫌います。
自分で選択したいのです。
そんな心情に配慮してか、
僕の職場ではルール作りを
ヒラ社員のスタッフ間で作る仕組みがあります。
自分で決めたことであれば、
スタッフはルールに従うのです。
反面「〜すべき」はどうでしょう。
これは、誰もが従いたくありません。
なぜなら、
これは誰かの主観だからです。
どれだけ正しくても、
「べき」と言った瞬間に、
それあんただけの意見でしょ?
と相手に思われて終わり。
なんか白けてしまいます。
これも、
べき論の悪影響の一つ。
せっかく正しいことを言ってるのに、
本人に悪気が無い場合だってあります。
人は感情の生き物。
正しいか正しくないかが
大事じゃない時もたくさんあるんですね。
べき論はどこから生まれてくるのか?
そんな悪影響だらけの「べき論」は、
一体人の心のどこから生まれてくるのでしょうか?
それは、
ずばり不安。
不安な心から、
「べき論」が生まれてきます。
人は何かしら、
「こうなって欲しくない未来のイメージ」
を不安として抱えています。
それは、
・人に嫌われたくない
・人にバカにされたくない
・人から冷たいと思われたくない
・だらしない人だと見られたくない
そんな未来が実現しないために、
「べき」と言うマイルールを作って、
まず自分から、そして他人をもそのルールで縛るのです。
だから、誰かが「〜すべき!」と
声高らかに言っていたら、
その人のことを理解するチャンスかもしれません。
その理屈は単純です。
その「〜すべき!」をもし守らなかったら、
その人はどんな嫌な目に遭うのか、
を想像してみるのです。
例えば、
「礼儀正しくすべき!!」と言っていたら、
もし礼儀正しくしなかったら、
・怒られるかもしれない
・社会人失格と言われるかもしれない
・食いっぱぐれるかもしれない
などの心配を
抱えていることが予想されます。
逆に言うと、
それがその人にとっては大事なことなんです。
「ははぁ…もしかしたら、
単に人に怒られるのが怖いのかな?
だとしたら、なんでそんなに怖がるのだろう?」
というところから、
相手への理解が始まります。
べき論を語る人と言うのは、
煙たがられるものです。
自分だけでそのマイルール守ってくれたらいいのに、
なぜか「私はこんなにこのルールを守っているのに!」
と他人にまで強要し始めます。
しかし、
色んな人と生きていかないといけないのが人生。
「ああ、なんか知らんけど不安なんだな」と、
べき論を語ってしまう自分自身や誰かを、
優しい眼差しで見つめてあげようではありませんか。
まとめ
「べき論」はできるだけ控えた方がよさそう。
自分は苦しくなる一方だし、
他人に嫌な思いをさせて嫌われる。
「べき論」は控える〝べき〟、
と言ってしまうと今までの話とも矛盾します。
他人と、そして自分自身との
対話を重視していくことをオススメします。
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