身勝手だ!と責められて、自己嫌悪に陥る。嫌な気分ですよね。しかし『自分を大切にすること』は実はとても大事なことです。『自分が大切だと思うこと』は、結局『他人をも大切にすること』につながるからです。
周りに「身勝手だ」と責められたような辛い経験がある人ほど、自分を大切にしてほしいのです。だって「身勝手だ」と責める人は、たいてい道徳の仮面をかぶって、自分の都合で他人を責めているだけだからです。
今日は、
『自分を大切にすることは全然悪いことではない』、その理由をまとめました。
お好きなところからどうぞ
『自分が大事』なのは人として当たり前のこと
誰かを喜ばせた時のことを思い出すと、『誰かのためにしたことも、結局は自分のためだった』と言うことに気づきます。
小さい頃、母を喜ばせるためにプレゼントを買った。
初めてできた彼女に、ラブレターを書いた。
父の還暦祝いに、豪華な旅館で料理をご馳走した。
可愛い我が子のために、ヒーローのおもちゃを買った。
ざっと僕が今思い出したことです。めっちゃ人を喜ばせてるやん、全然自分のためと違うやん。
一見そう思えますが…
いや、
めっちゃ自分のためです。
それは、相手が喜ぶことを通じて、自分が満足しているから。自分の満足が全く無い、100%奉仕の精神なんて、どこにも存在しません。
例えば、
「子どもを助けたら自分が危ない!でも助けないと!」
と言う時でも、子どもを助けることができる、という自分の満足のもとに行動を選択します。そして子のために喜んで犠牲になると思います。
あくまで、
自分が満足したいから、相手に何かするのです。
人間はどう転んだって、
結局自分が大事なようにできてるんですね。
だから、「結局自分が大事なんやなー」と落ち込みそうになっても、
むしろ当たり前なんですね。
「身勝手だ」と言う責め言葉は聞かなくてもいい
日本は道徳の気持ちが強い国なので、ちょっとワガママな行動をしただけで、「身勝手だ」と後ろ指を指されてしまいます。もちろん、信念も無くただ単純に相手の気持ちを考えずに行動した場合は、そういう風に言われても仕方ないかもしれません。
しかし、
「身勝手だ」と言う人は、
本当にその人を身勝手だと思ってそう言ったのでしょうか?
本当にあなたのためを思って?
自分が身勝手な振る舞いができないから、嫉妬して「身勝手だ」と言う人もいます。
「相手のためは、結局自分のため」と理解せずに、ただ誰かに道徳を教えられたから「人のために生きるべき!身勝手は振る舞いはやめるべき!」と思い込んでいる人もいます。
自分がかつて、身勝手な振る舞いをして痛い目をみたから、相手のほんのちょっとした自由な振る舞いにイライラしてしまう人もいます。
これは、ちょっと冷たい言い方すると、
その人の都合です。
その人の思い込みや過去の経験や嫉妬心から、「身勝手だ」と責めているんです。
本当にあなたが身勝手かどうかは、別の問題です。
でも、
道徳的な内容を声高に叫ばれると、
なんとなく反論しにくいし、
なんとなく言われてることが正しく聞こえてしまう。
つい罪悪感を感じて聞いてしまう。
だから、
『本当に自分が身勝手か』、『正しいフリをした相手のワガママか』、しっかり見極めた方がいい。
そうすると、「身勝手だ!」と責めてくる人のほとんどが、ただ相手の都合で怒ってるだけ、と気づくことができます。
自分を大事にすることは、相手も大事にすること。
自分を大事にできない人は、
相手を大事にすることができないってよく言われています。
これは、本当にその通りだと思います。
「私は自分を犠牲にしている」という思いの強い人に悲壮感を漂わせながら親切にされても嬉しくありません。反対に、「この人に親切にすると、わたしも嬉しいなぁ」という気持ちで、目をキラキラさせながら何か親切なことをされると、嬉しくなってしまいます。
自分を気持ち良くするために、
相手に何かをすることが、
相手のためになるんですね。
だから、
自分を犠牲にしてまで何かをすることは、道徳的に素晴らしいわけではありません。むしろ、しない方が相手のためになります。先ほどの話のように、もし相手の都合で怒られるようなことがあったら、僕ならその話は聞きません。相手のためにもならないし、自分のためにもならないからです。
仲の良い人なら、
「お前、今自分の都合で怒ってるよ」
と教えます。
自分のために、あえて相手の話を聞かないことが、
相手のためになるんですね。
仏教の瞑想も、自分の幸せを願う事から始まる。
仏教に「慈悲の瞑想」と言うものがあります。
それは、
まず自分自身の幸せや、悩みが消えることを祈ることから始まります。
そして、
その祈りの範囲を自分だけでなく、自分の大切な人に拡大します。
さらに、
自分の嫌いな人や全ての人にまで、祈りの範囲を徐々に拡大していきます。
このような、人の幸せを願う「慈悲の瞑想」ですが、
面白いのは、まず自分の幸せを願うことから出発するところです。
自分自身の喜びや苦しみをしっかり味わってからでは無いと、
人の幸せを願うことなどできないからです。
やっぱり、
自分を大事にするって素晴らしいことなんですね。
だったら開き直ってもっと自分を大事にしよう
今まで書いた内容で、
人間は本来自分のために生きる生き物だし、
自分のために他人を責めたりもするし、
さらに、自分のために生きることが他人のためになると分かりました。
ならば、
もっともっと自分を大事にして生きようと思います!
ただ、
いきなりは難しいですよね。
実は優しくしたくない人に、これからは優しくしなくなったり、
今まで素直に人の言う事を聞いていたのに、聞かなくなったり。
周りはビックリするかもしれないし、
さらに怒る人もいるかもしれません。
そんな人たち言葉に惑わされないように、さらに自分をしっかり大切にしていきましょう。
まとめ
人間は結局自分が大事?との質問には、
間違いなく、イエス!と答えます。
それは悪いことでもなんでもありません。
でも、その自分が大事の中に、
相手の喜びも一緒に大事だと思えていたら、
みんなハッピーになりそうですね。
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自分のためにを第一に考えて
次に大切な人のため
次に全ての生命のため
そう仏教で学んだはずだったのに
自分のための行動ばかりだと(あたりまえですが)自分はなんて自分勝手なんだと悩んでいました。
すっきり!しました!
もう少し自分を通せるわがままになりたいです。
ゆうこさん、コメントをありがとうございます!
たしかに…現実社会、特に日本で生きているとそうなってしまいがちです。
ただ、自分を責めることって、結局誰のためにもならないと思うんですよね。