大人だって、褒められたいし愛されたい!でも、褒められたいのに褒められない…。
それにしても、自分でも病気か!ってぐらい、なぜこんなに褒められたいのでしょうか?その心理とは?
この記事では褒められたい人に心理を読み解き、また過剰に「褒められようとする人」のデメリットと、そこから脱出する方法を解説します。
・こんなに頑張ってるのに褒められない事が不満
・少しぐらい褒めてくれてもいいのに…と思っている
僕はアラフォーですが、
正直今までの人生…
やたら褒められようとしても…
一個も良いこと無かった!!
働き出して10何年褒められようとしてきました。褒められようとする部下も見てきました。やはり褒められる事を求めすぎるのはいい事ではありませんでした。こういう人はだいたい報われない。
逆の立場で考えてみると、『やたら褒められたそうにしている人』は痛くないですか?それを気づかないうちに自分もやってしまっているかもしれません。
本記事はちょっと辛口ですが、愛を込めてお届けします!
お好きなところからどうぞ
●「褒められたい」に潜む特徴や心理

なぜ人は褒められたいのでしょうか?人間思ってる以上に褒められなくても生きていけるはずなんですが、ふつふつと湧いてくる「俺のこと褒めてくれよ〜」といった欲望。一体これはどこからやって来るのでしょうか?
疲れた時に褒められたくなるのは普通
金曜日ぐらい誰かに褒められたいですよね。
人間は疲れがたまり、心が弱ってくると誰かに褒められたくなります。1週間の疲れがピークの金曜日。「誰か俺を褒めてくれ!」「すっごい頑張ってるね!とか言ってくれ!」とは、もしかしたら自分でも気づかない心の叫びではないでしょうか。
これは普通と言えば普通の心の状態です。
仲間や大切な人と心を通わすことで、元気になるきっかけをもらう。これぐらいいいじゃないですか。かく言う僕も「ねーねー、今日の商談でプレゼン通ったよ!俺すごくない?」とか妻に聞いて、だいたいウザがられています。可愛いな、俺。
ただ問題なのは、「褒められたい」というのが、いつもいつもで、褒められたいオーラが常に出ていて、時にはしつこいような場合です。
愛されたい気持ちが強い
誰だって多かれ少なかれ愛されたい願望を抱えています。人は人との間でしか生きられないので、「愛」という幻想をお互いに交わす事で生きていける。
でも過剰に愛されたい、その証拠を得たいがゆえにやたら褒められたいのなら注意が必要です。
こんな人は、
とにかく自分に自信が無い。
自分は愛される存在では無い、と心のどこかで寂しさを感じているのです。
寂しすぎていてもたってもいられない
なんだか寂しい。
いてもたってもいられなく寂しい。自分がひどくちっぽけに思えて、いてもたってもいられない。
そんな人は、寂しさを紛らわすために、一生懸命バイトや仕事・勉強に取り組みます。そうすれば寂しさも忘れられるし、誰かに褒められて自分が価値ある人間のように思える。
必死で周りのために働き、動き、思いやっているフリをします。だって褒められたいから。
承認欲求が強すぎる
承認欲求は誰しもが抱えています。承認欲求は自然な心の働き。他者に認められ受け入れられることは、生きていくうえでは欠かせない事だからです。だから承認欲求をモチベーションとするのは、あるレベルまでは良い事です。
しかし、他人に褒められること、つまり他者からの評価にばっかり依存するのは危険な状態です。「欲求五段階説」で有名な、かのA・マズローも「低レベルな状態」として注意を促しています。
こんな人は、このようなセリフを言います。
「俺の方が優秀はなずなのに、なんであいつが褒められるんだ」
「上司に怒られてばかりでやる気が出ない」
「誰にも認められないなら、この仕事は一生懸命やらない」
こういう人は、仕事ができるかもしれないけど『なんか怖い人』。優秀だけど、友達のいない人。積極的に発言をするけど、対話と言うより説得するような会話が多く傲慢。自分のミスを認めるのが苦手で、他人にも厳しい。
「私はおしゃれだ!」
「俺は今期ナンバー1の実績を挙げた!」
「これって個性的でしょ?」
だからなんだって言うんですか。
周りの人は、あなたと心を通わせることを求めているのに。
褒められグセがつきすぎて麻痺している
自意識を満たされるのって、脳でいうところのドーパミンが分泌されます。ドーパミンって快楽物質です。つまり「気持ちい良い」んですね。Facebookのいいね!を見てはドーパミン分泌、twitterのリツイートを見てはドーパミン分泌。
一度褒められて美味しい思いをした人は、また美味しい思いをしたいんです。
SNSを見れば見るほどクセになるのはこれが原因とも言われています。
でもこれは実は身体には負担大です。
ドーパミンは本来、目標を達成するために分泌されるホルモンで、いつもいつもドバドバ分泌される事に耐えられるよう身体はできていないのです。
一生懸命やってみんなにも褒められて嬉しいはずなのに、なんだか虚しくて疲れてしまった…。そんな想いを抱えていないでしょうか?
パブロフの犬のように「褒められる」というご褒美の奴隷になっているのかもしれません。奴隷になってしまうって事は、誰かの言いなりになるって事です。これは後から解説します。
●褒められたい人ほど、褒められない

「褒められたい」。そんな想いが強ければ強いほど、「褒められない」。なんとも皮肉ですが、薄々気づいているのではないでしょうか?
幼い人に見られてしまう
褒められたい人は、自分のことを褒めてくれアピールを知らず知らずのうちにやってしまいます。
まともな大人は、こんな人は相手にしません。
「褒められること」が一番の目的で仕事も勉強もするわけではない、と大人は分かっているからです。「褒められたい」がために仕事をしている人は、「幼い人」だと思われてしまいます。こんな人を「褒めよう」と思う人は、まともな大人にはいません。
ところで、
褒め言葉には「良い褒め言葉」と「悪い褒め言葉」があります。
人間関係を円滑にするために褒める人もいるでしょう。これは良い褒め言葉ですね。夫婦仲を円滑にするために、妻が一生懸命に作った料理を、夫が美味しそうに食べて「何これ!すごい美味しい!どこで研究したの!」と褒める。こんな些細な一言があるだけで、夫婦仲はいつも平和!僕はついそれを忘れてしまって、たまに家庭内がギスギスしますが…(泣)。
②悪い褒め言葉
傷を舐め合うような人なら褒めてくれるかもしれません。あるいは「褒めておけばいいか」とあなたの事を好きでも嫌いでもなくどうでもいい人は褒めてくれます。本心はどうでもいいのです。
『やたら認められたいアピールが強い人』が得る褒め言葉は、当然②の悪い褒め言葉です。優しい人は①の良い褒め言葉をくれるかもしれません。でも少数です。やたら認めて欲しそうな人に対して、周りの人は白けています。
それと、やたら認められたがる人の周りには、だいたい質の悪い人が集まります。
人は他人のエゴが大っ嫌い
基本的に他人は他人のエゴが大っ嫌いです。
自分のエゴは好きなのに、他人のエゴは大っ嫌いなのが人間です。
だから「褒められたい」想いが強すぎる人は、心から褒められることはありません。本当にすごい事を成し遂げた時、人は褒めるのではなく感嘆し、感心します。尊敬するのです。そして本当にすごい事を成し遂げた当の人は、あくまで謙虚です。
平たく言うと褒められがってる人は、
「なんかムカつく」
そう思われてしまうだけなのです。
褒められることを求め続けると、将来詰む
仮に自分の思い通り褒められたとしても、それはあとあとの悲劇の始まりです。
褒められるために今後生きていくようになってしまいます。
人に褒められる事が自分にとっての価値になる。だから必死で、地位や名誉や利権や名声、そして「褒め言葉」を求めて頑張る。これで下手にうまくいってしまったら逆に不幸ですね。
その人は他人からの評価に常に怯えて生きる人生になります。
僕の友人の同僚にそんな人がいます。
かつてインターハイなどにも出場し、超負けず嫌い。仕事ぶりも優秀で20代で上場会社の地域エリアマネージャー。社内の女性と浮名を流し噂になったことも。でも、誰にも愛されていない。それは本人が一番知っています。
その人の本心を誰も知らないんです。愛しようがありません。その人は下手に優秀なばっかりに、自分の傷に上塗りに上塗りを重ねてきて、自分のことすら分からなくなりました。
そんな人に対して、その同僚が影で言った一言は…
「なんか、怖いんだよね」
です。
一生懸命やっているのになんという皮肉でしょうか。
褒められたい人は利用される
自分の本当にやりたい事をいつも我慢して、自分の本当に思っていることをいつも言わない。誰かに認められたいから、そんなことはいつも我慢している。だって褒められる事が一番の目的だから。
そんな人は、「弱い人」です。
悪い人から見たら非常に利用しやすいのです。
傷つけ、揺さぶり、そしてアメを与えるように褒めれば、いいように操られてしまいます。
下手をすれば奴隷のようにいいように操られます。
法的にも怪しい、胡散臭い商材販売のセミナーでは、その道のベテランが、カモにする相手の弱みを徹底的にヒアリングします。そしてその人の弱さに「うん、うん」とひたすら共感します。そしてその人を徹底的に肯定し褒め称え、「今までの人生、俺は悪くなかったんだ!」と強く思うまで勇気づけます。テンションが上がりきったところで、「これを販売すれば、君はもっと君らしく生きられる」と、その胡散臭い商品の販売を持ちかけるのです。
『褒められたそうにしている』のは、弱みをさらけ出して「俺を搾取してくれ〜」と言っているのと一緒なんです。
●褒められたい、から卒業して成長する

誰かの愛情を求めすぎた結果ひどい目にあった人の多くが同意してくれると思いますが、満たされない自分を他人に満たしてもらうことはできません。
まず自分で自分を喜ばせる
自分を愛せなくて悩んでいる人に、僕はよくこう問いかけます。
「すっごく好きな人が風邪を引いてたらどうする?そうだね、ユンケル買っていって、栄養のある美味しいおかゆとか作ってあげるよね。すっごく好きな人が疲れていたらどうする?そうだね、肩でも揉んであげて優しい言葉をかけるよね。すっごく好きな人が悲しい顔したらどうする?そうだね、うんうん、とうなずいて、気の済むまで悲しい想いを吐き出させるよね」
そしてこう言います。
「それ、自分自身にやってみたら?」
褒められたい想いが強すぎる人は、自分の喜ばせ方を知りません。自分の満たし方を知りません。
そして褒められたい人は『大きな成果』を求めます。自分でコツコツと、小さな達成を喜ぶことを知りません。
でもそのコツコツと小さな達成や、自分に向けた優しさが大切なのです。
疲れた自分のために栄養のあるご飯を自分で作る。自分しかしらない自分だけの記念日のために、とっておきのプレゼントを自分に贈る。自分が喜べる作品に、自分だけの感想を述べる。つらい日は思い切って休んでしまう。背伸びせずにできる事からやっていく。期待に応えない。
どうでしょうか?
特に「つらい日は思い切って休んでみる」「期待に応えない」なんて、褒められたい一心でやってきた人は超拒絶反応を起こすのではないでしょうか?でも、みんなやってますよ。知らないだけです。
あなたは、そんないきなりサボる人に対して怒るかもしれませんが、それはあなたの『認められなくなってしまう』という恐怖心の投影です。試しにサボってみればいいと思いますよ〜。怒られるかもしれませんが。
こんな日々の些細な「自分を大切にする」積み重ねが、いつの間にかブレない自信につながるんです。
そしてこのブレない自信を何と呼ぶか。
そう
「自尊心」
なんですね。
仕事や勉強の本当の目的を考える
仕事の目的は「褒められる」事ではありません。
優れたサービスを市場に提供し、所属している企業の利益に貢献する事です。利益を得た企業はもっと優れたサービスを提供できます。その結果、人々を幸せに近づけることができるのです。
勉強だってそうです。学んだ事を世の中に活かせて始めて価値が生まれます。テストの点が良くて褒められたからって、一瞬その人が褒められた事に嬉しくなって終わりです。
その事に精一杯集中してみる。
お客さんの利益になりつつも、自社の利益に貢献するためにはどうすればいいか。
徹底的にそこを考えて行動すれば、いつしか「褒められたい」なんて言葉は忘れてしまって、周りから尊敬されていることでしょう。
褒められようとするのではなく心を通わす
褒められることを求めるのではなく、心を通わす。
ちょっと分かりにくいのでセリフで表してみますね。
上の人、どんだけ自分だけ褒められたいんだ(笑)。
褒められたい人は、ひとりぼっち。
もっとみんなを巻き込んで、一緒の方向を向いて、心を通わせてもいいのではないですか?
見返りを求めないgiveで人を喜ばせる
もうギブアンドテイク(Give & take)は古い時代です。与えて奪う時代ではないです。
例えば最近流行りのクラドファンディングなんかでも、あからさまな下心が見えた場合、誰も乗っかってくれません。それよりも「こんな風にしたら、世の中もっとよくなるんだ!」「子どもの笑顔を増やせると思うんだ!」そんな純粋な想い(純粋に見えるような想いだとしても)が、共感を得て支持を集めます。
徹底的な与える姿勢、人を想う姿勢が、大事なんですね。
見返りを求めない優しさについては、こちらで書きましたのでよければ読んでください。
まとめ
「褒められたい」って過剰に思うことに、良い事なんて一個もなし!
それよりも、他者に与え続けることのできる
かっこいい大人
でありたいですね。
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